よるのばけもの
学生の頃から、フィクション、ノンフィクション問わず、本は読んでいたように思います。
その中でも、大人になってから出会った『よるのばけもの』は、少し「人の見方」を変えるほど、影響を受けました。
物語の中で印象的なのは、
クラスで孤立する少女・矢野さつきの“笑い”です。
「怖いと笑っちゃうんだよ。そういうふうになっちゃったの。」
この一言が、ずっと頭から離れませんでした。
怖いと笑っちゃうという矛盾
人は本当に怖いとき、笑ってしまうことがあります。
それは強がりでも、ふざけでもなく、
**心がこれ以上壊れないように守るための“反応”**なのだと思います。
矢野は笑うことで、自分を保っていた。
泣くよりも、怒るよりも、誰にも迷惑をかけずに済む方法で。
主人公の安達は、
その“笑い”を見て、**「人は見たままで判断できない」**と気づきます。
誰かの明るい笑顔の裏に、恐怖や孤独が潜んでいるかもしれないし、誰かの無愛想な態度の奥に、優しさや不器用な思いやりがあるかもしれない。
『よるのばけもの』の核心は、
「本当の自分の姿はどこにあるのか」という問いです。
私たちも社会や人間関係の中で“昼の顔”を生きています。
けれど、誰にも見せていない“夜の顔”がきっとある。
怒り、悲しみ、弱さ、願い——。
表の美しさだけでなく、
内にある葛藤や祈り、痛みをも身体で描く。
“きれい”と“くるしい”が共存するその瞬間に、
人間のリアルな感情があらわれます。
「怖いと笑っちゃう」──人間らしさの証
矢野の「怖いと笑っちゃう」は、彼女の悲しみであり、
同時に**“人としての強さ”**でもあります。
その笑いを「変だ」と決めつけず、
そっと受け止めたとき、
私たちは他人と、そして自分自身と本当に向き合えるのかもしれません。


