
舞台裏のCocoon 2025年7月、東京都板橋区に 小さなバレエスタジオ「Studio Cocoon」をオープンしました。 日々の出来事、季節の移ろい、訪れる人たちとの出会い。 スタジオが少しずつ形を成していく過程を、 “舞台裏”からそっと綴っていきます。
- 永遠のシルヴィ・ギエムon 2025年12月25日 at 11:37 AM
日本での引退前、最後の公演。客席にいました。舞台が始まる前から、どこか空気が違っており「これが最後なんだ」という言葉を、誰も口にしないまま、会場全体が共有しているような静けさ。シルヴィ・ギエムは、1965年フランス生まれ。パリ・オペラ座で史上最年少のエトワールに任命された、バレエ史に名を残す存在です。驚異的な柔軟性。長い手足が描く、彫刻のようなライン。強く、高く、正確で、少しの妥協もない身体。けれど彼女が特別だったのは、その才能を「完成形」として守らなかったこと。クラシック・バレエの頂点に立ちながら、既存の枠に安住せず、コンテンポラリー作品へと踏み出し、自分の身体と表現に、問いを投げ続けてきたダンサーでした。その引退公演の“最後の場所”に、彼女が選んだのが 日本 だったことには、意味があると思います。ギエムは長年、日本で繰り返し踊ってきました。熱狂ではなく、静かに、真剣に、一瞬の違いまで見逃さずに受け取る観客の前で。日本の観客は、彼女を「伝説」としてではなく、一人の表現者として見続けてきた存在 だったのだと思います。拍手の大きさよりも、沈黙の深さで受け取る文化。その場所でなら、感傷に流されることなく、「今の身体で、今の踊りをする」その姿を、きちんと届けられる。だからこそ、最後を日本に託したのではないか。舞台に立った彼女からは、引退という言葉に伴いがちな、別れの演出はほとんど感じられませんでした。そこにあったのは、張りつめた集中と、研ぎ澄まされた静けさ。感情を押しつけることもなく、観客に媚びることもない。ただ、「私は、こう踊る」という確固たる意思だけが、舞台にありました。ギエムは衰えたから引退したわけではありません。「自分の身体に嘘をつきたくない」「納得できる踊りができるうちに、終える」そのために、引退の時期も、場所も、すべて自分で選んだダンサーでした。終わり方さえも、一つの表現として。不思議だったのは、“最後” の舞台だったのに、どこか 未来を見せられたような感覚 が残ったことです。バレエは若さのものでも、結果を競うものでもない。どこまで行くかだけでなく、いつ、どう終えるかも含めて、踊りなのだと。それを、言葉ではなく、身体そのもので示された夜でした。ただ、「踊るって、こういう在り方だったな」そんな感覚だけが、身体に残っていた。引退は終わりじゃない。あの踊りは、確かに、今も生きている。続きをみる
- 街の時計屋on 2025年12月16日 at 12:07 PM
生まれ育った地元に、昔から変わらず続いている時計屋があります。私が生まれる前からそこにあり、小さい頃、祖母に連れられて何度か訪れたことがあるような...ただ、その記憶は正直なところ、かなりあいまいです。それでも、店構えだけははっきりと覚えています。駅に行く途中や買い物の帰り道、特別な用事がなくても、いつもそこにある存在でした。つい最近、息子の習い事の空き時間に、腕時計の電池交換をお願いしようと思い、その店に入りました。カウンターの向こうにいらしたのは、子どもの頃から見かけていた「おばあちゃん」でした。年を重ねられているはずですが、手つきには一切の迷いがありません。裏蓋を開け、電池を交換し、作業はすぐに完了。本当に、あっという間の出来事でした。革のバンドもその場で選ばせていただき、そのまま付け替えてくださいました。余計な説明や、売り込みのような言葉は一切ありません。この場所で何十年もの間、止まってしまった時計や、調子の悪くなった時計を、数えきれないほど直してこられたのだと思います。入学祝いの時計や、節目の記念に贈られた時計、大切な方の形見の時計も、きっとこの店を通ってきたのでしょう。お会計は、こちらが少し戸惑うほど良心的でした。利益よりも、お客さんとの関係を大切にされてきたことが伝わってきます。「また、時計のことで困ったら、いつでも来てね」その一言に、長い年月の中で積み重ねてこられた信頼と時間を感じました。最近、「サービスとは何か」について考えることがよくあります。便利さやスピード、価格だけでは測れないものが、確かに存在します。人は、結局のところ感情で動きます。安心した記憶、大切に扱ってもらえたという実感、名前も知らない相手でも、きちんと向き合ってもらえた体験。それらすべてが、「またここに来たい」という気持ちにつながるのだと思います。時計は時間を測る道具ですが、この店は、人の時間そのものを、静かに支えてきた場所なのかもしれません。同じ場所で、世代を越えた記憶が、少しずつ重なっていく。そんなことを想像しながら、店を後にしました。続きをみる
- 大人になって、自分のために踊ってon 2025年12月15日 at 10:42 AM
バレエを続けていると、いつの間にか「次の発表会」が基準になっていくことがあります。振付を覚えられているか。立ち位置は合っているか。周りより遅れていないか。舞台に立つ経験は、確かに特別で、目標があるからこそ頑張れる時期もあります。でも、ふと立ち止まって思うことがあります。踊る理由は、発表会だけなのか。と。大人になると、仕事でも家庭でも、いつも結果を求められます。「できたか」「役に立ったか」「評価されたか」そんな毎日の中で、身体を動かす時間まで、同じ物差しで測らなくてもいいのでは、と思います。今日は、少し身体が軽かった。呼吸が深く入った。昨日より、床を感じられた。それだけで、十分な日もあります。大人のバレエは、一直線に上達していくものではありません。むしろ、・できていたことができなくなる日・身体が思うように動かない日そんな日の方が多いかもしれません。それでも、スタジオに来て、バーに手を置いて、音楽を聴く。その時間を持っていること自体が、すでに価値なのだと思います。Dance Labo Cocoonの大人クラスでは、「こう踊らなければならない」という正解を、置いていません。・身体を整えるため・感覚を取り戻すため・ただ「私の時間」を持つため踊る理由は、人それぞれでよくて、成果が見えにくい時間も、身体の中では、静かに積み重なっています。踊る理由が、「誰かに見せるため」から「自分のため」に変わった日。その変化こそが、大人になってからバレエを続ける一番の贅沢なのかもしれません。続きをみる
- 積み重ねのための場所on 2025年12月3日 at 11:08 AM
努力は、必ずしも結果に結びつくとは限らない。それは、多くの人が一度は感じたことのある現実だと思います。それでも、正しい方向に努力を積み重ねることは、結果に近づくための、唯一の道でもあります。そして何より、目標に向かって努力し続けられること自体が、すでにひとつの「選ばれた才能」だと、私は感じています。Studio Cocoonのレンタルスタジオを、定期的に、しかもかなりの頻度でご利用くださっているバレエの方がいらっしゃいます。お邪魔にならないよう、直接お話しすることは控えていますが、スタジオに残る空気や、床の使われ方から、どれほど真剣に身体と向き合っているかが伝わってきます。その練習量を知るたび、こちらの背筋まで自然と伸びるような気持ちになります。バレエの世界で成功できるかどうか。それは簡単に言い切れるものではありません。けれど、これだけの時間と集中力を、目標のために積み重ねられる人は、バレエであっても、バレエ以外であっても、きっと豊かな人生を歩んでいかれるのだと思います。結果より先にあるのは、自分を律し、向き合い、続けるという姿勢。それは年齢やジャンルを超えて、生き方そのものに表れます。Studio Cocoonは、努力が安心して積み重ねられる場所でありたいと考えています。続きをみる
- 最高な一日on 2025年11月10日 at 9:39 AM
「今日は最高な一日だったなー」最近、4歳の息子がよく一日の終わりにこう言います。「今日は最高な一日だったなー」とか、「今日は最高じゃなかったなー」と。その言葉を聞くたびに、思わず笑ってしまいます。一日の出来事を自分なりに振り返って、“いい日”だったのか、“そうじゃなかったのか”を素直に口にしているんです。息子にとって「最高な一日」とは、遊園地に行ったり、ママとパパがずっと一緒にいる日。そして「最高じゃない日」というのは、ママやパパとたくさん喧嘩をしてしまった日です。そんな彼は今、バレエを続けています。ただ、見ていると――本当に好きなのか、そうでもないのか、まだよくわかりません。レッスン前は気が進まなそうでも、終わったあとは少し誇らしげな顔をしていることもあります。きっと、まだ“好き”と“がんばった”の区別が曖昧なんだと思います。でも、いつかバレエを頑張った日を、「今日は最高な一日だったなー」と言ってくれるようになったら、それはきっと、努力の中に楽しさを見つけた証拠。そして、親としては何より嬉しい瞬間だと思います。今日もまた、「最高だったなー」と言って眠りにつく息子の寝顔を見ながら、そんな日が少しずつ増えていくといいなと思っています。続きをみる
