
舞台裏のCocoon 2025年7月、東京都板橋区に 小さなバレエスタジオ「Studio Cocoon」をオープンしました。 日々の出来事、季節の移ろい、訪れる人たちとの出会い。 スタジオが少しずつ形を成していく過程を、 “舞台裏”からそっと綴っていきます。
- 5分の舞台に込めた想いon 2025年11月3日 at 10:58 PM
11月3日、Dance Labo Cocoonは「命のつどい」チャリティー公演に出演しました。会場は、目黒区にあるめぐろパーシモンホール。舞台に立った生徒たちは、緊張と期待の入り混じる中で、これまでの練習の成果をしっかりと発揮してくれました。Dance Labo Cocoonでは、これまでにも靖国神社、大山文化会館、アクトホールなど、数々の大きな舞台に立たせていただいてきました。こうした経験の積み重ねは、子どもたちにとってかけがえのない財産です。大人になってからも、その時に感じた光景や拍手の音は、ただの思い出ではなく、「自分を信じる力」へと変わっていきます。本番前のリハーサルでは、子どもたちがパーシモンホールという大舞台に立つ姿を見て、思わず涙ぐむ保護者の方々の姿もありました。ライトに照らされたステージに立つ小さな背中を見つめながら、これまでの日々の努力や成長が一気に蘇ったのでしょう。その瞬間、客席側にも静かな感動が広がっていました。続きをみる
- コンクールクラスon 2025年10月30日 at 11:00 AM
モダンバレエのコンクールは、自由な表現力と創造性が重視される舞台です。音楽や動き、間の取り方、感情の表現――どれも「正解」が一つではありません。自分の内面と向き合いながら、“踊りで語る力”を磨いていくのが、モダンバレエのコンクールです。コンクールに出ることは、単に「賞を取ること」が目的ではなく、一人ひとりが自分の限界を少しずつ超えていく過程でもあります。その努力の積み重ねが、舞台の上で確かな輝きとなって現れます。続きをみる
- 繋ぐことon 2025年10月29日 at 11:13 AM
子どもと話していたとき、ふいに聞かれました。「パパとママは、いつかいなくなるの?」子どもを持つ親なら、一度は向き合う言葉かもしれません。正直に答えるべきか迷いましたが、「いつかはいなくなるよ。でもその頃には、あなたにも大切な家族ができてるから大丈夫だよ。」と答えました。すると子どもは目を潤ませながら、「神様がいなくなれば、そんな決まりなくなるよね?パパとママがいなくなるの、やだ。」“死”という概念をまだ知らない年齢だからこそ、その言葉にはまっすぐな愛と、不安が混ざっていました。本当は、家族とはずっと一緒にいたいものです。それは大人になっても変わりません。けれど私たちは、いつかこの世界を去ります。だからこそ何かを継いでいくこと。それが人生の目的のひとつなのだと思います。交わした言葉。手の温もり。楽しい記憶、悲しい記憶。そして、生きる姿勢。それらは目には見えない“バトン”のように、次の世代へ静かに渡されていく。人は、いなくなる瞬間よりも残していくものがあるかどうかで永く生き続けるのだと思います。ダンスも、ひとつの動きには、教えてくれた誰かの想いが宿り、音楽に合わせて、また次の誰かの心へと渡されていきます。たとえ舞台が終わっても、その光や鼓動は、観た人、踊った人の中に生き続ける。スタジオを続けるということは、「継承」の営みの真ん中に立つこと。踊りの火さえ絶やさなければ、未来の誰かがきっとまた、その火を灯してくれます。いつかまた、「パパとママ、いなくならないで」と言われたら、「大丈夫。姿が見えなくなっても、パパとママはずっと、あなたの中で生きてるよ」そう胸を張って伝えられる親でありたい。その未来を、一緒につくっていこうと思います。続きをみる
- 新スタジオ、初めてのハロウィン!on 2025年10月26日 at 9:23 AM
新スタジオになって、はじめてのハロウィンイベントを開催しました。子どもたちの笑い声とカラフルな衣装にあふれた、1日になりました。まずは、ベビー科が主役のレクリエーションタイム。いつものレッスンとは少し違い、音楽に合わせて体を動かしたり、ゲームをしたり。普段は少し恥ずかしがり屋な子も、この日はお気に入りのコスチュームで楽しそうにレクリエーションに参加していました。続きをみる
- 「シガー・ロス」と踊るon 2025年10月21日 at 12:45 PM
10年以上前、真夏のサマーソニック。遠くのステージから聴こえてきたのが、私にとって初めてのSigur Rósでした。あのとき、何を歌っているのかはまったくわかりませんでした。Sigur Rósの音楽は、意味を持たない「ホープランディック(架空言語)」で歌われることが多く、その曖昧さが、聴く人の中に“空白”を生み出します。そして、その空白を、自分自身の記憶や感情で静かに満たしていきます。なかでも「Hoppípolla」は、私にとって特別な一曲。アイスランド語で「水たまりを飛び跳ねる」という意味を持ち、子どもの頃、雨上がりの道で靴を濡らしながら水たまりに足を踏み入れた瞬間のような、あの無邪気さと、胸の奥に潜む“生きる切なさ”が絶妙に溶け合っています。ピアノの最初の一音が鳴った瞬間、空気が少し震える。その音の揺らぎに合わせて、身体が自然と動きたくなる。モダンバレエの振付で言うなら、上へ跳ね上がる力と、地面へ戻る重力。その“間(ま)”にこそ、生命が宿るように――Sigur Rósの音楽も、上昇と静止のあいだを漂いながら、聴く者をやさしく包み込みます。彼らの音楽を聴いていると、音が“空気の粒”のように感じられる瞬間があります。柔らかい光の中に身体を置いたような、静かなあたたかさ。モダンバレエの舞台照明も、それに似ています。強いスポットではなく、淡く揺れる光の中で、ダンサーの身体が“呼吸する存在”として浮かび上がる。言葉よりも、温度。動きよりも、間(ま)。Sigur Rósとモダンバレエは、どちらも「静けさの中で感情を膨らませる」芸術だと思います。あのサマーソニックで聴いた夜のように、Sigur Rósの音楽は、時間をゆっくりとほどいていきます。大切な式、モダンバレエの作品、青ヶ島の星空の下、そのすべての記憶の中に、彼らの音が寄り添っていました。聴くことが、踊ることになるような音楽。Sigur Rósは、そんな存在です。続きをみる
