かけがえのない記憶

先日、99歳になる祖母が亡くなりました。
大正14年生まれの祖母は、もし生きていれば、今年の9月末で100歳を迎えるはずでした。

祖母は、戦争や震災、急激な経済成長といった激動の時代を生き抜いた人です。

母子家庭で育った私は、母と兄と一緒に祖母の家で暮らし、おばあちゃん子としてたくさんの愛情を受けて育ちました。

保育園の送り迎えの帰りに、毎回レバーの焼き鳥を買ってくれたこと。
神社で一緒に銀杏を拾ったこと。
そしてオセロ。負けず嫌いだった私は負けると大泣きしてしまう子どもでしたが、祖母は時には本気で勝ち、時にはわざと負けてくれて、いつも穏やかに付き合ってくれました。

怒られた記憶はほとんどなく、祖母はいつも優しい存在でした。

亡くなったその日、施設からの連絡を受けて駆けつけると、まるで眠っているような祖母がいて、呼びかけたら起きるんじゃないかと思い、私は何度も「おばあちゃん」と声をかけました。
火葬の後、肉体はなくなってしまいましたが、関わった人たちの記憶の中では生き続けるのだと思います。

身近な人が亡くなるのは初めてで、「人はいつか必ずいなくなる」という事実を強く意識しました。

同時に、日々の暮らしの中で交わしたささやかな出来事――焼き鳥の匂い、銀杏を拾った手触り、オセロ盤を挟んだ笑い声――そうしたものが「かけがえのない記憶」になるのだと実感しました。

だからこそ、家族や大切な人と一緒に過ごす時間を、これからもっと大事にしていきたいと思います。
たとえ小さなひとときでも、誰かの心に「温かい記憶」として残っていくように。

祖母の穏やかな笑顔や温かな手の感触は、これからも私の心の中で生き続けます。
どうか安らかに、そしてこれからも見守っていてください。

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