「シガー・ロス」と踊る
10年以上前、真夏のサマーソニック。
遠くのステージから聴こえてきたのが、私にとって初めてのSigur Rósでした。
あのとき、何を歌っているのかはまったくわかりませんでした。
Sigur Rósの音楽は、意味を持たない「ホープランディック(架空言語)」で歌われることが多く、
その曖昧さが、聴く人の中に“空白”を生み出します。
そして、その空白を、自分自身の記憶や感情で静かに満たしていきます。
なかでも「Hoppípolla」は、私にとって特別な一曲。
アイスランド語で「水たまりを飛び跳ねる」という意味を持ち、
子どもの頃、雨上がりの道で靴を濡らしながら水たまりに足を踏み入れた瞬間のような、
あの無邪気さと、胸の奥に潜む“生きる切なさ”が絶妙に溶け合っています。
ピアノの最初の一音が鳴った瞬間、空気が少し震える。
その音の揺らぎに合わせて、身体が自然と動きたくなる。
モダンバレエの振付で言うなら、
上へ跳ね上がる力と、地面へ戻る重力。
その“間(ま)”にこそ、生命が宿るように――
Sigur Rósの音楽も、上昇と静止のあいだを漂いながら、聴く者をやさしく包み込みます。
彼らの音楽を聴いていると、音が“空気の粒”のように感じられる瞬間があります。
柔らかい光の中に身体を置いたような、静かなあたたかさ。
モダンバレエの舞台照明も、それに似ています。
強いスポットではなく、淡く揺れる光の中で、
ダンサーの身体が“呼吸する存在”として浮かび上がる。
言葉よりも、温度。
動きよりも、間(ま)。
Sigur Rósとモダンバレエは、どちらも「静けさの中で感情を膨らませる」芸術だと思います。
あのサマーソニックで聴いた夜のように、
Sigur Rósの音楽は、時間をゆっくりとほどいていきます。
大切な式、モダンバレエの作品、青ヶ島の星空の下、
そのすべての記憶の中に、彼らの音が寄り添っていました。
聴くことが、踊ることになるような音楽。
Sigur Rósは、そんな存在です。

